1989年春号:ジェニファー・フェドリックの来日

【前書き】
いつかホームページなりブログなりを始めたら、自分がこれまで書いてきた記事をアーカイブしておこうと考えていたのだが、いざ実行に移そうとすると、いろいろと厄介な問題があることに気づいた。

まず第一に、その量が膨大だという点。
自分が雑誌『Basser』に記名原稿を書き始めたのは大学を卒業した1991年からだったが、実はそれまでも無記名という形では記事を書いていた。
初めて取材をして原稿を書いたのは、『Basser』の編集スタッフとしてバイトを始めてわずか2カ月後の1988年秋。オールスタークラシックの記事だった。
同船した沢村幸弘選手が優勝したため、誌面のなかで核となる重要な記事を急遽自分が書かねばならなくなってしまった次第。
そういった初期の頃の無記名記事から含めると、現在まで実に23年間。ソルト系の編集をやっていた93〜95年の中抜けを引いても20年分もあるわけで、ざっと計算すると、190号分にも及ぶ。
我ながらよく続いたものだと感心するが、それらをすべてこのブログにアーカイブするとなると、その投稿作業だけでもかなりの時間を要するという事実にあたらめて気付いた。
なにせ記事本数で言えば、少なくとも倍にはなるだろうから、おそらく380本分くらいの記事がある。1日1本ずつアップしていったとしても、1年以上を要する大シゴトだ。
が、投稿を1日1本のペースでなど、とてもできるものではないことも判明してしまった。

それが第二の問題。
原稿データの大部分がなんと紛失してしまっていたのだ・・・。
まず、初期の頃はコンピューターではなくワープロ機を使っていたわけだが、データを保存しておいたフロッピーディスクがどこにも見当たらない(;^ω^)
さらに、コンピューターを使い始めてからのデータも、ワープロソフトがすでに廃盤になっている上に、対応OSを起動可能なマシンもすでにない状態。
悪いことに、約10年分のデータを入れておいた外付けハードディスクまでもが、つい先日、認識不能に陥ってしまった・・・。
つまり、過去数年分を除いて、それ以外はすべて誌面からのスキャニング>OCRソフトによる読み取りという果てしない作業をしなければならないらしいorz

そんなわけで、過去記事アーカイブ化計画がいつフィニッシュするのか、自分でもまったく分からなくなってしまったことをまず先にお伝えしておくw

さて、今回アップする「THE COLOR OF BLUE」だが、これは「来日外人シリーズ」と自分で勝手に読んでいる初期の頃の無記名記事のひとつ。
ご想像の通り、誌面スキャンからデータを起こし直したw
1988年に来日した女性プロ、ジェニファー・フェドリックのJBTA参戦を取材したもの。
琵琶湖での苦闘っぷりを縦糸に、彼女の生い立ちとアメリカでのエピソードを横糸として強引にまとめた内容。
当時の編集長、三浦修氏からは「ジェニファーの紹介記事としてまとめてほしい」との要望だったと記憶している。
今読むと、心象風景描写が過剰すぎて自分でも「はぁ?」と思ってしまう部分が多々あるが、二十歳の生意気な小僧が80年代のバブル期に書いたものとして笑い飛ばしていただければ本望。
あの頃はハウツーだけが釣り雑誌じゃないっスョ!なんて粋がっていたのだったw
若かったのだなァ、と。
ただ、日本の選手たちの20数年前の雰囲気が行間に見え隠れしていたりするので、今でも日本のバスフィッシングにおける歴史的資料としては楽しめるかもしれない。

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「THE COLOR OF BLUE」
Jennifer's summer in timeless way
アメリカトーナメント史上最強の女性プロフェッショナル、ジェニファー・フェドリック。その初来日は多くのバスフィッシングファンを魅了した。

Jennifer Fedrick(ジェニファー・フェドリック)
アリゾナ州出身、28歳。1985年にチームトーナメンターとしてトーナメントバスフィッシングの洗礼を受け、その後、アメリカのバスフィッシング史上最強の女子コンペティターになる。
1985年、ワールドチームチャンピオンシップ、全米第10位。
1986年、アリゾナ・プロフェッショナル・バストーナメントの「Tournament of Champions」に出場。
1987年、USバス・ナショナル・トーナメンツに参加、数々の素晴らしい成績を収める。同年、USオープンにおいて、「ビッグフィッシュ賞」を獲得した史上初の女性トーナメンターとなる。
1988年、USA女子バストーナメントを含む6つのトーナメントで優勝。USバス史上最高の女子マネーランキングを達成。そして1989年、ジェニファー・フェドリックは国という壁を越えた国際レベルでの成功を目指している。

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1988年11月20日、午前6時30分。
 風景はピリピリとしたオレンジ色に包まれていた。琵琶湖の広大な水面から立ちのぼる水蒸気、そんな水面にひしめきあうバスボート、気にならない程度に流れる西風、そして選手たちの堅い表情、朝の太陽はそういったものすべてを強烈なオレンジ色に染め上げていた。

 それぞれのボート上では選手たちがエンジンやその他のエレクトロニクス系の調子をみたり、タックルをセットしたりしていて、あちこちで響くエンジンのイグゾーストサウンドが彼らの強張った表情と重なり合い、スタート前のいつものトーナメント風景を創りだしている。

 グラウンドの中央には、JBTAのステージがあり、そこではエントリーのレジストレーションが行なわれている。スピーカーから絶えず飛び出す何かしらのインフォメーションは引き締まった朝の空気を振動させ、ボート上で準備に没頭している選手たちの鼓膜をほんの少しだけ震わせた。

 トレーラーの前では、レジストレーションを済ませた選手たちがいくつかのまとまりになって話をしている。エンジンの唸りやスピーカーから聞こえる事務的な声にかき消されて、選手たちの間で交わされる会話は聞き取ることができない。時折、あたりに漂う緊張した雰囲気を和らげるような笑い声が湧いたが、そんな笑い声は何事もなかったようにすぐに冷えきった空気の中に吸い込まれた。

 そのグラウンドに彼女が姿を現わした時、40ほどの黒い瞳が彼女の顔と、その右手にしっかりと握られた4本のロッドに向けられた。彼女がグラウンドの中央に進むにつれ、表情をそっと窺うようなその視線の数は増えていき、彼女が、ちょうどステージの前あたりで足を止めると同時に、6ダースほどの視線はパッとあちこちへ散っていった。

 遠くから見る彼女はまるでベルジャンフラッグのようだった。赤と黒のスキーターのワンピーススーツ、太陽を浴びていつもより濃い色に輝くブロンドの髪、最初に目に飛び込む彼女のそういった外見的な特徴は、黒と黄と赤の旗のように映えていた。

 ある程度の距離から見ても、彼女がアメリカの女性にしてはわりと小柄で、繊細な体つきをしているのがわかった。背は165か6cmといったところだろう。また、欧米人の女性に特有の、あのバーンとした腰も彼女にはなかった。

 手に持っていたストレーンの黒のバッグを足元に置き、そのバッグに立て掛けるようにして4本のロッドを置いた。3本のベイトタックルと1本のスピニングタックルだ。

 スピニングタックルにはキャロライナリグがセットしてあり、まだワームがついていないフックはロッドのバットガイドに引っ掛けられていた。ベイトタックルにはそれぞれスピナーベイト、クランクベイト、テキサスリグがセットされていた。スピナーベイトはホワイトスカートのゲーリーヤマモトで、クリア・ウィズ・シルバーフレークの4インチグラブがトレーラーされていた。クランクベイトはチャートリュース、テキサスは6インチのパープル・ウィズ・グリーンフレークカラーだった。南湖の特徴であるマッディーな水質にマッチさせたものばかりだ。

 彼女はスーツのポケットから黒いゴムバンドを取り出すと、風でまとわりつく髪を無造作に後ろでひとつに束ねた。彼女の手はひどく荒れていて、細く、すっきりと長い指には飾り気というものがまるでなかった。短くきちんと切られた爪、マニキュアの輝きのない爪。そして、漁師のように荒れた皮膚……。

 たった今昇ったばかりの太陽がちょうど前方にあり、彼女は眩しそうにその美しい朝焼けを見つめていた。それから、まだ夜を引きずっている上空のロイヤルブルーを見上げると誰の耳にも入らないくらいの小さな声で独り言を言った。彼女の口から白い息がちょっとだけ出て、すぐに消えた……。

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1972年、アメリカ、アリゾナ州。夏。
 空を見上げると、飛行機雲がひとつ、ほぼ真上で強烈な光を放っている太陽の横を避けるようにして走っていた。空全体を覆っている吸い込まれるような青さも、じりじりと照りつける太陽の近くでは薄れて、白くなってしまっていた。

 木でできたその小さな桟橋は、茶褐色の岩盤やさらさらに乾ききった砂に周囲を囲まれて、ほとんど忘れられたように猛烈な日差しにさらされていた。その桟橋の上で仰向けになって寝転び、膝から下の両足をブランコのように揺らして、空を見つめている少女がいた。少女は小さなスピニングリールが付いた長くも短くもない、彼女にはちょうどよい長さのロッドを、右足の太股と桟橋の上板の間に器用にはさんでいた。

 水色のショートパンツからスーッと伸びた少女の足は日に焼けて、ピンク色になり始めていた。男の子みたいにツンッとした鼻や、彼女の小さな顔にはやけに大きく見えるサングラスの端から覗く頬や、うっすらと汗のにじんだ額は、強烈な砂漠の太陽を浴びて、すでに濃いピンク色に変わっていた。

 彼女のブロンドはショートパンツと同じ水色のリボンできちんとポニーテールに結ばれていて、よく男の子がする、頭の上で両手を重ねて枕のように置く、ちょうどあのポーズで寝転がっていた。

 真っ黒なサングラスをかけて、透き通った7月の空を見ると、まるで月のクレーターの底にでも寝転がって宇宙を眺めている気分だった。空は濃いブルーに見えるし、まっすぐに描かれた飛行機雲は星雲かなにかのようにも見える。それに、あの眩しい太陽も夜明けの金星をそのまま大きくしたくらいにしか見えないし、視界の端にはゴツゴツとした岩山まである。

 彼女はサングラスを少しずらしてみた。とたんに真っ白な陽の光が飛び込んできて、一瞬、目をつむった。恐る恐る開けた目にも、光はとても眩しかった。右の手のひらを頭上の光源にかざしてから、今度はそっと目をつむってみた。

 そうしていると、実にいろいろな音が聞こえた。いつもは気にもとめないような音も、目を閉じると、不思議なくらい自然に耳に入ってくる。微かな水音、耳の横をかすめて飛び去る昆虫の羽音、ラジオから流れるカントリー、そして父親の吹く口笛……。

 「おいジェニー!起きろ!ヒットだ。デカイぞ」。突然、父親の大袈裟な叫び声があたりに響き、眩しそうにしながら少女は頭を少し持ち上げた。

 「……」。笑いながら、缶ビールを持ってアイスボックスの上に座り込んでしまっている父親を、少女はキョトンとした、まるで状況が飲み込めないといった表情で見つめた。

 「なかなかのグッドサイズだろ」。父親はそう言って、右手の大きな缶ビールを持ち上げると、舌打ちとともにウインクして見せた。

 「ほんと、何ポンドかしら」。少女の顔にもパッと微笑みが浮かんだ。鼻の頭と頬が、もうかなり赤くなっている。

 「さっきからサッパリだよ。この暑さで魚も水底にへばり付いているんだろうな、きっと。トカゲみたいにさ」。

 「じやあ、底に落としたら釣れるかしら」。

 「その前にひっかかっちまうさ。ゴツゴツした岩なんだよ、この湖の底は」。父親はすでに釣りはあきらめたといった感じで、もっぱら陽光とビールを楽しむのに専念している。

 少女は足にはさんでいたロッドを掴むとおもむろに立ち上がり、銀色の小さなスピナーを、濃緑に透き通った足元の液体にポトリと落とした。スピナーは一瞬、鋭い閃光を放ち、それから、水面に張り付いた真っ白い太陽の中に静かに消えていった。

 伸びたスプリングのように丸まったラインが、しばらくの間、気持ち良く水中に引き込まれていき、やがて押し戻すようにして止まった。

 少女はリールのハンドルを3回ほど回し、ラインをピンッとまっすぐに伸ばすと、今度はロッドを上下にゆっくりと揺らし始めた。瞬間、ロッドティップがバネのように弾み、ラインがスーッと水を切って走った。

 2分後、少女の手には、湖の色と同じ濃い緑色をしたブルーギルがしっかりと握られていた。

 ブルーの空には、依然として、太陽がいささかの衰えも見せずに輝き、赤茶けた大地や鏡のような湖面、そして桟橋の上で魚を握りしめている少女などを、先ほどと同じ精一杯の夏の恵みで満たしていた。

 ただひとつの変化といえば、ほんの少し前までくっきりとした線を上空に描いていた飛行機雲が、今ではぼやけて広がり、ちょっとした時間の経過と、永遠の夏という少し象徴的なイメージを濃い夏の空に加えているだけであった。

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 スロットルを開くと、琵琶湖が動き出した。琵琶湖大橋の真下、赤いスタートカードがオフィシャルの頭上に高々と掲げられると、目に見えるものすべてが後ろに向かって動き始める。だが、左の空の太陽とその周囲の雲だけは例外で、その場に静止したまま、じっとこちらを見つめている。

 サングラスをかけたジェニファーは、キャップを右手で押さえて、いくらか前かがみにしている。彼女が左を向くと、サングラスに黄色い太陽が映った。雲の間を這い上がるようにして出てきた、朝の黄色い太陽だ。

 湖上はかなり荒れていた。20フィートボートが波の衝撃で弾み、湖面を飛ぶようにして走り抜けていく。エンジ色の絨毯をひきつめたフロアが激しく揺れ、ロッドやフットコントローラーはまるでフライパンの上のポップコーンのように跳ね回る。

 7時30分。ボートは最初のポイント、北山田に到着した。スロットルが閉じられると、ジェニファーはバウに飛び出していった。モーターとソナーを慣れた手つきでセットすると、テキサスリグのベイトロッドをつかみ、鉄柱が突き出したエリアを目指してフットコントローラーをいっぱいに踏みつける。バウに立った彼女は、まるでシーソーにでも乗っているかのようだった。北西の強風にあおられて水面が激しくゆがみ、あちこちで生まれた波が、行き場を求めてお互いにぶつかり合い、ボートにも自棄になって体当たりしてくる。

 どうにか鉄柱のそばまでボートを寄せることに成功した彼女は、チェアに寄りかかるように立ったまま、派手なグリーンフレークの6インチワームをフリッピングして、その鉄柱の脇へ落とし込んだ。ソナーは1.8mの水深を示している。水はとてつもなくマッディーで、鉄柱が水面から生えているかのようにも見える。彼女はシェイキングを続けながら、なんとかボートをステイさせようと、フットコントローラーからけっして足を離さない。

 いつのまにやって来たのか、50mほど離れた鉄柱に、今日の優勝候補と噂される吉積健司がボートをステイさせていた。彼もまたジェニファー同様、風に流され、波に揉まれて苦戦しているようすだった。

 彼女は、腰に当たるチェアをしきりに気にして、ピラーの部分を左手でまさぐるようにいじっては調節しようとしている。ボートが揺れるたびに、前へ押されるような感じがするのだ。何気なく吉積のほうを見ると、彼はちょうどスピナーベイトをキャストしていた。吉積が鉄柱めがけてキャストしたスピナーベイトは、自らの意思で動く機械でできた小さな鳥のように、ピカピカと光線をあちこちに振り撒きながら、茶色くサビた柱の少し先へ飛び込んでいった。

 彼女はロッドをフロアに置くと、さっきから気になっていたチェアを、両手で持ち上げてはずした。フロアにはま30cmほどの支柱が突き出している。彼女はそれもはずそうとするが、結局はずれなかった。金色のコールドウェザースーツを着た丸顔のドライバーが、「アブないデ」と呟きながら、無用になったチェアをストーレッジのところまで持ってきた。
「サンキュー」彼女は緊張した微笑を頬のあたりに浮かべながらそう言った。口元でそれと理解できる程度の小さな声だった。

 鉄柱と鉄柱の間にはどういった目的からか、黒っぽく変色したロープがゴチャゴチャと張りめぐらされていて、小型の黄色いブイが近寄ってはならぬと言わんばかりに、周囲を疲れきったガードマンみたいにずらりと取り囲んでいる。全体として見ると、気まぐれな彫刻家が面白がって湖に捨てた、できそこないのモダンアートといった感じだ。

 彼女はスピナーベイトを鉄柱に沿ってトレースし始めた。鋭い角度で水中に突き刺さったラインは、ピーンと張ったまましだいに手前へ近づいてくる。それは1本めの鉄柱を通り過ぎ、2本めの鉄柱も通り過ぎた。ボートはいぜん琵琶湖に揺さぶられている。

 バウフロアに無造作に置かれた3本のロッドから、彼女はもう1度テキサスリグを選んだ。パープルにグリーンフレークが多めに入った、例の6インチだ。

 突然、琵琶湖が大きく揺らいだ。ボートの下で緑茶色の水が生き物のように身をくねらせて、彼女はコンソールの前面に鈍い音をたててひっくりかえる。瞬間、ドライバーがシートから腰を浮かせて彼女を見る。ライフジャケットが衝撃を吸収したのだ、と彼女は思った。彼女は口をキッと結び素早く立ち上がると、ボートが風にあおられているのに気づき、急いでモーターを回転させた。

 彼女は5秒前のそのハプニングなどすっかり忘れてしまったかのように、ボートが流されているという状況に極めて冷静に対応した。彼女の意識は今では完全にロッドとフットコントローラーに集中している。

 「やっぱりチェアあったほうがええデ」例の金色スーツの男が心配して、まるで独り言のようにボソッとつぶやく。

 彼女は素早くモーターを引き上げ、ロッドを隅に寄せて片付けると、あそこのバンブーの所へ、と言って指差した。

 そこはいくつかの真珠棚が適当な間隔を置きながらも集まっている場所で、鉄柱からはそう離れていない。そのうちの1ヵ所で彼女はスピナーベイトのピッチングを始めた。等間隔に並んだ竹杭に沿って丁寧にリ一リングを繰り返す。風が少し収まり、波も弱まってきた。

 スタートから1時間半、彼女は「木の浜」ヘボートを走らせた。木の浜のカド、かなり沖合いのシャローだった。河辺裕和の姿が見える。ドライバーが大きな声で調子はどうかと叫んだ。

 「40オーバ一!」同じようにそう叫び返してから、右手の指を3本立てた。興奮をノドの奥に詰まらせたような河辺の言葉には、自信と余裕の裏返しといったものが感じられた。

 「ジェニファーは?」河辺が叫んだ。彼女が河辺のほうを振り返る。金色のスーツを着たドライバーが黙って首を振る。河辺も黙ってうなずき、25mほと離れて行なわれたコミュニケーションはそこで途切れた形になった。

 「カワベは釣ったの?」彼女がたずねる。

 「スリーフィッシュ」。ドライバーがそう答えると、「Good」と呟いて河辺を見た。

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1987年7月29日、ネバダ州、レイク・ミード。
 あたりの風景は目に見える限り、西部に住む者には見慣れた、ある意味で西部のプロトタイプとも言える、あの埃っぽい赤褐色の粗削りな岩山で完全に支配されていた。

 唯一、人間の匂いを感じさせるものと言えば、白っぽい均一な石で固められた半島と、その上に乗っけたように建てられている大きな茶色い屋根のクラブハウス、その前方にある青と白のテントでできたウェイイン会場、そして半島の先端につながっている巨大なマリーナなどが、ひとまとまりとなって存在しているだけであった。

 午後になって太陽は強さを一段と増した感じで、雲ひとつない空から強烈な光線が手当たりしだいにバラ撒かれている。そんな太陽の下にいる人々はきまって濃い色のサングラスをかけ、何かしらのマークの入ったキャップをかぶっていた。

 U.S.0PENの初日は例年こんな天候だ。日差しと呼ぶには強すぎる太陽、自分ばかりか湖面までも黙らせてしまう風。そして何百というサングラス。誰もが湖面を疾走するバスボートになりたいと願うのだ。

 結局、この日、バスをウェイインできた者は少なかった。ほとんどのエントリーがこの天候に悩まされ、口々にタフの一語をつぶやいていた。

 ジェニファーがマリーナに戻った時、桟橋はすでに帰っているエントリーと有名プロを一目見ようと集まってきた人々でいっぱいだった。そんなマリーナは今まで自分がいたレイクの雰囲気とは何もかもが対照的に思えた。風景の色や音、そして、同じはずの空までが彼女にはどこか違ったもののように見えた。

 彼女はビニールに3分の1ほど水を入れ、ライブウェルから慎重に魚を移した。持ち上げると、ずっしりとした気持ち良い重さが手に伝わった。

 「大きいな。今日のビッグフィッシュじゃないかな」。ウェイイン会場に向かう途中で他のエントリーが声を掛けてきた。

 「だといいけど。なんとか5位以内に入れればね」。彼女が答える。

 「ひょっとしたら2万ドルのボートは君のものかもしれないぜ」。驚きと称賛の微妙に入り混じった表情だ。彼女は軽く微笑みを返すと、クラブハウスヘと延びている緩やかなスロープをしっかりとした足どりで歩いていった。

 彼女の頭の中では、数時間前の出来事が決して失われることのないたくさんの記憶のカケラとなり、限りなく広がっていった。まるであたりの景色を完全に飲み込んでいる永遠に広がったスカイブルーのように……。

 貧弱なウィードの陰にその魚を見つけた彼女は、素早く、そして慎重にポップRをキャストした。その小さなポッパーはいくらか頭をのぞかせているウィードに向かって飛んでいき、それに引っ張られたラインが空中で自然な弧を描いて光り、やがて水面に張り付くようにして落ちた。鏡の水面に波紋が生まれ、光のシワになってゆっくりと広がっていく。彼女がロッドティップを細かく震わせると、ポップRは口からビー玉みたいなアブクをいくつか吐き出して、いかにも夏の湖にふさわしい音をたてた。「さあ、何してるの、いらっしゃい」心のなかで彼女は何回もそう叫びつづけた。

 もしショアーに人がいて、彼女を注意深く観察していたとしたら、その人はきっと、湖面を食い入るように見つめる彼女の真剣な表情に、少し場違いな印象を受けたかもしれない。だが、次の瞬間、まだその人が同じ場所にいたなら、彼女がその場を去って行ってしまうまで、妙に感心したような顔つきでボートのようすを眺めていたことだろう。

 「すごいな、3ポンドはあるぜ」。フロアで暴れている魚を見て、彼女のポーターが驚いて言う。

 「やったわ。この子がね、あそこのウィードの所に見えたのよ。ハラハラしたわ、あなたに気づかれるんじゃないかと思って」。嬉しそうな目が黒い大きなサングラスを通してもわかるような、そんな笑韻だった。

 「やられたよ。とにかく、おめでとう」。ボーターの笑い声が赤褐色の岩山までとどき、いくぶん柔らかな音になって跳ね返ってきた。

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 レッドフレークの派手なボートが近づいてくる。黄色いソラロームのキャップに、青いウインドブレーカー。

 「イマエクンが来たで」と、ドライバー。彼女が振り向いた。今江はかなり遠くからモーターだけで近づいてくる。

 5mほど離れた所にボートをステイさせた今江は、ドライバーに挨拶して、ジェニファーが釣ったかたずねる。

 「あかん」と、ひとこと言ってから「河辺君は釣っとるで」。そう続けて、100mほど離れた所で釣っている河辺を指差した。今江はそっちを向いて目を凝らす。河辺のボートは陽光の反射で光の帯のようになった水面に揺れている。

 向き直ると、今江はジェニファーに早口な英語で話しかけた。

 「今日はタフだ。ほとんど皆釣れてない。シシィベイトを使って、まずキーパーを釣ったほうがいいかもしれない」。

 うなずいて聞いていた彼女はあたりを見回した。今江もまぶしそうに目を細めてあたりを見回している。

 ショアーまでは300mくらいの距離だ。ちょうど正面の所が直角になっていて、奥へ切れ込んだ先には桟橋が見える。左サイドは、定規をあてたような直線がかなり先まで続いていて、イメージとしてエアポートがすぐに思い浮かぶ。そんな風景だ。

 今江とジェニファーはレイク・パウウェルで1度、一緒に釣っていた。ノンポーターとして、今江が彼女のボートに乗ったのだった。琵琶湖では共にプラクティスをした。初めて訪れる湖で、その湖を何も知らずに、誰の力も借りずに魚をキャッチするのはどんな人にとっても難しい。

 「彼女には話してありますけど、この先の第3水路のところのマリーナとか、あの辺を案内してやってください」。今江はドライバーにそう言うと、来た時と同じようにモーターだけ回しながら離れていった。

 彼女は袖を少し引っ張って、手首に巻かれた時計を見た。時計は9時23分を示していた。スタートしてからライブウェルをまだ一度も開けてない、と彼女は思った。

 「場所ええんか?ここで」ドライバーがたずねる。一瞬、彼女は初冬の小さな太陽を見上げた。サングラスを通したそれは、濃いブルーに浮かぶ黄色い輝きの粒だった。それから彼女は手際よくロッドとモーターをかたづけた。ロッドをひとまとめにして、フロアに付いたベルトで固定し、モーターを一息に青緑色の湖から抜き上げる。

 「マリーナ?」前方を指差しながらドライバーが言う。彼女は「OK」とだけ言って、うなずいた。

 頑丈そうな堤防でできたそのマリーナはCの字形をしていて、突端にはテトラが入っている。少年たちのキャストするラインがあふれる光のなかで銀色の線になり、堤防の上からいくつも降っている。目隠しをされた人がここに連れてこられて、この情景を目にしたら、きっとここを海だと思うだろう。

 堤防の少年たちはジャンヌ・ダルクを見つめるフランス市民に似た視線を彼女に送っている。彼女が小さな黒いスポーツバッグのジッパーを勢いよく開ける。バッグにはグラブやワームがビニール袋のままいくつも詰まっている。彼女はその中から1つを取りだす。日焼けを重ねた指先で、ペッパーフレークのちりばめられた透明なワームが陽に輝いている。彼女は50cmほどのリーダーをとったサウスキャロライナの先端にそれを付けた。

 水深2.5m。彼女はテトラ周りをゆっくりと探る。そして4投め、彼女は唯一のスピニングタックルでリールトラブルを起こしてしまった。ラインローラーとベイルに細いラインががっしりと絡みつき、最終宣告に似た何か決定的な瞬間の雰囲気を漂わせている。「シシィベイトを使ったほうがいいかもしれない」。今江の言葉が彼女の頭の中で何度もフラッシュする。

 「もうシシィベイトは使えないわ」。ほとんど聞こえないような声で彼女がつぶやく。誰かに訴えるような絶望的な声で……。

 明るすぎる太陽が、彼女の目には明るすぎる太陽が、頭上で輝いている。冷えきった大気をいくらかでも暖めようと、その白い太陽はあたりを光で満たしている。

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1988年11月13日、河口湖、信号前。
 信号前にはかなりのボートが入ってきた。もっと奥へ向かうボートが2隻、激しい振動音を響かせながら弛んだ水面を切り裂いていく。初冬の太陽の微かな暖かさで、フロアやシートを真っ白に覆っていた霜がゆっくりと溶けていくのがわかる。風はない。

 彼女はPOE'Sと書かれたライトベージュのキャップを浅く被っている。POE'Sは彼女のスポンサーのひとつだ。彼女の視線は黒い大きなポラライズド・サングラスを通してソナーの液晶パネルに注がれている。液晶パネルはボトムを表わすタイトな線を奇妙なくらい正確に映しだしている。

 ボーターの関千俊がフットコントローラーを静かに踏んで、17フィートのチャンピオンボートをほんの少しだけ回転させるように動かした。すると、液晶パネルのデジタルな両面が動き、ボヤボヤとした曖昧な影とともにクリアなバスの影が現われた。

 水深8m、所々に残っているまばらなウィードにぴったりとくっついたバスは、彼女のワームを何の迷いもなくくわえた。スタートしてから約1時間で、彼女はすでに数尾の魚をライブウェルに入れていた。

 ほぼ同じ場所で釣っている他の選手たちは、彼女がバスをキャッチするたびに振り向き、驚きの表情を浮かべて目を凝らした。眩しいほどに輝く水面から彼女がバスを抜き上げると、まるで銀色の糸に魅せられた輝きの分身が空に向かって飛び出したような、そんな印象を与える。

 夕方に行なわれる正式な結果発表の前に、彼女の優勝が本人に突然知らされた。ウェイインエリアが沸き立ち、そこらじゅうの日焼けした顔が彼女を振り向く。

 「ジェニー!君の優勝だよ!おめでとう!」。興奮した声で、まるで自分の優勝のように誰かが言う。瞬間、彼女は小さくジャンプする。そして、手のひらを胸の前で組み合わせて祈るように叫んだ。

 「ほんと?信じられない!1位なの?」暖かな日差しに包まれてブロンドが揺れ、赤い顔にかかる。彼女は左手でそれをかきあげる。周りにいたオフィシャルや選手たちが曇りのない美しい笑顔で彼女にいくつもの言葉を贈った。

 「うれしいわ。セキのおかげよ」。彼女がそう言うと、ボーターの関は照れ臭そうにして笑った。

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 琵琶湖名鉄沖の魚礁、通称Big rock humpと呼ばれる水中のビッグストラクチャーを彼女は選んだ。前方に名鉄のエリ、その遥か向こうには赤白の鉄塔が見える。

 彼女はあたりの景色とソナーを交互に見つめている。ショアーに並ぶコンクリートグレーの建造物、番人のように退屈そうな顔をした鉄塔、黒アリの行列に似たソナーの液晶パネル、それらを注意深く何度も見返してはモーターを回転させる。

 「ここで釣れよったらでかいデ」。コンソールのフラッシャーを見ながらドライバーが独り言を呟く。

 彼女がマーカーブイを落とす。H形の真っ赤なプラスティックが青緑色の湖水に際立ち、映える。いびつなビッグロックに水流が絡みつき、なめるように撫でていく。ビッグロックは水底に吸いつき、それに耐えている。ワームの着底地点を考え、マーカーブイの数m先に軽くキャストする。グリーニッシュブルーのサーチライトに暗く照らされた6インチが、グリーンフレークをくねらせてビッグロックを叩いているのが分かる。ボートはブイを中心にゆっくりと円を描いている。

 約1時間後、彼女はビッグロックに見切りをつけ、浮御堂に向けてボートを走らせた。結局、名鉄沖では魚をキャッチできなかった。浮御堂沖3mラインをスピナーベイトで探る。ジェニファーが近づいてきたボートに気づく。それはブッチ・ヴァスコのボートだった。ブッチはバウチェアに座り、スピナーベイトをセットしたロッドを握っている。

 「どうだい調子は?」ブッチが大声で叫ぶ。

 「ひどいわ。あなたは?」

 「なんとかなりそうだ。やっぱりスピナーベイトだよ、プラクティスの時とほとんど同じさ。ここはあちこちにグラスがあるんだ。そこをねらってこいつを引けばいいのさ」。ブッチは一語一語を飲み込むように話した。

 「カワベが魚をキャッチした場所にもグラスがあったわ」彼女は早口でそう言うと、ブッチの背後に広がるグレーを、灰色の屋根に埋もれたショアーを、じっと見つめた。

 「ああ、俺はあっちのシャローのほうに行ってみるよ」

 ブッチが離れてから、彼女はそこで2尾のノンキーパーを釣った。2尾とも、もう1ヵ月後だったらキーパーになっているだろうといった微妙なサイズだった。

 12時30分。堅田漁港に移動すると、彼女は外していたチェアを取り付けた。いつのまにか空が雲で覆われていた。グレーのグラデーションが堅田漁港と描かれたコンクリートの壁を包みこんでいる。淡いブルーの空が千切れたグレーの隙間から入り込もうとして、太陽の気配を漂わせているが、暖かな光にあふれた空間はどこにも見当たらない。彼女はゆっくりとボートを動かして、ソナーに映るウィードの影を確認する。魚は絶対にいるはずだった。堤防のアウトサイドからまわって、突端のところでボートをステイさせた。ザラザラとした堤防の上に鳥が1羽とまっている。茶色の小さな鳥だ。彼女がキャストした白いスピナーベイトが、グレーのザラザラの突端すれすれに落ちる。とたんに鳥が飛び立つ。まわりに仲間はない。彼女は同じサイズのバスを10尾近く釣った。30cmに2cmほど足りないノンキーパー。

 「これが河口湖ならまた優勝ね」。彼女は少女の頃見た夏の空のブルーを思い出した。月に寝転んで眺めたような濃い水色が少しだけグレーにのぞいている。彼女は手に持ったノンキーパーを水色の空間に向かって掲げた。それは間違いなくブルーヘの扉だった。飛び立った鳥が空一杯に膨張したグレーの下で喘いでいる。グレーがすべてを押し潰そうとしている。鳥は何かを求めるように、何かに魅せられたように、黒い点になって、グレーにうずもれた淡く透き通ったブルーに、濃い夏の可能性に満ちたブルーに向かって、その小さな鳥は飛んでいった。

 暖かい太陽の香りと、あの湖の底のような色を探して……。

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【あとがき】
おそらく十数年ぶりに本稿を読み返してみて新たに気付いた点をいくつか書いておく。

読んでいてもしか気になった方もあるもしれないが、何度か登場する「黄色のスーツを着たドライバー」。
この方は文字通り、当日ジェニファーが乗っていたボートを操船したボートドライバーだ。
ジェニファーは米国人で船舶免許を持っていないから、日本国内ではボートを操船することができない。ジェニファーのボートには日本人のドライバーが乗り込んで、彼女の手足となってボートを操船したというわけ。
聞けば当たり前のことだが、記事中では説明されていないので分かりにくかったかもしれない。

あと、自分的に気になって仕方ないのが「ポイント」という単語だ。記事中では、いわゆる日本独自の釣り用語として「エリア」ないし「スポット」の意味で用いられている。
これは『Basser』を発行する「つり人社」の当時の用語規則に準じたもの。
日本の釣り文化に広く浸透した和製英語の釣り用語が、バスの世界でも普通に用いられていたということ。逆に言えば、当時の日本の釣り界における、バスフィッシングの影響力の矮小さを物語っているとも言えるかもしれない。

正確には覚えていないが、記名記事を書くようになって割とすぐに、自分は「ポイント」という用語を上記の意味では使わないようにした。
今ではすっかり認知されていると思うが、「ポイント」は本来「岬」の意味であって、アメリカでは「ロングポイント」とか「セカンダリーポイント」といった感じで頻繁に使われる。

そうそう、今回久しぶりに本稿を読み返して思い出したのは、当時の日本のバスフィッシングにおけるアメリカ西部の影響の大きさだ。
ジェニファー自身がアリゾナ(米国南西部)の出身であるわけだが、その彼女のホームレイクであったレイクミードやパウエルは、当時の日本ではサムレイバンやケンタッキーレイクよりはるかに知名度が高かったと思う。
アメリカのバスフィッシング」と言った時、それは6対4くらいの比率でアメリカ西部を指していた。もちろん6が西部、4がその他である。

なぜそうだったのか。理由のひとつは当時から毎年ミードで開催されていたUSオープンの存在がある。
USオープンは日本人にとってもっとも身近なアメリカン・プロトーナメントだったのだ。参戦する日本人も多く、テクニック面でのフィードバックも大きかったから、当然と言えば当然。
あと、当時頻繁に来日していたゲーリー・ヤマモト氏の影響も大きかっただろう。アリゾナのレイク・パウエルで磨かれたゲーリーの「グラビング」は、もっとも身近なアメリカンスタイルでもあった。

自分自身、大学卒業後に渡米した際、真っ先に訪れたのもアリゾナだった。
ジェニファーやブッチ・バスコにも会いに行った。ジェニファーは、酷いオンボロの車に乗っていた自分を心配してくれて、本当に親切にしてもらった。
そのジェニファーは今何をしているか?

あのロビーナ・ルアーの社長です。

ジェニファーとは関係ないが、1989年春号の『Basser』には、ちなみにこんな広告が出ていた。

AD_daiwa

当時のダイワの広告だ。TEAM DAIWA! それにしても、錚々たる顔ぶれ!
やはりバブルだったんですナァ。80年代の日本は。

冒頭で、今回のジェニファーの記事は「来日外人シリーズ」のひとつだと書いたが、1989年からの数年間、日本にはアメリカの大物プロが毎年やってきていた。
そのハイライトとも言うべき超大物が、89年のラリー・ニクソンと90年のリック・クラン。
自分はまったく幸運にも、当時まだ学生であったにもかかわらず、彼ら大物プロの取材を任された。
次回の「過去記事」は、この時の無記名記事をアップしよう。