01年12月号:ティム・ホートン@ツアー2001-02第1戦

【まえがき】
 2000年夏から2002年初夏までの丸2シーズン、毎回の本戦レポートに加えて「THE WEEK WITH A PRO」という企画を続けていた。「あるプロとの1週間」というタイトル通り、プラクティス段階から試合終了まで特定のアメリカ人選手に密着取材を行い、その選手のプロフィールや戦略に肉迫するという企画だが、実はこれこそが私が長年いつか実現したいと思い続けていた企画だった。ある意味、コレをやるためにB.A.S.S.の取材を始めたのだと言ってもいいだろう。

 その昔、『Basser』で連載していた「TRUE STORY」という記事を覚えているだろうか。アレは毎回フィールドと目標ウエイトを設定して挑戦者に挑んでもらい、そのプロセスをありのままに伝える「ひとりトーナメント・ドキュメンタリー」とも言うべきものだったわけだが、実はあの企画を開始するにあたって(1997年夏)自分が念頭に置いていたのが「米国プロトーナメントを舞台にしたノンフィクション記事」というアイデアであり、それがこの「THE WEEK WITH A PRO」の原案だった。「TRUE STORY」はいわば、そういったノンフィクション的手法がバスフィッシングの世界で現実に可能なのかどうかを確認するための実験という意味合いがあった。なぜ実験する必要があったのかという話を書き出すと長くなってしまいそうなので、それはまたいつか「TRUE STORY」の記事をここで紹介する時にでもあらためて書いてみよう。

 ともかく、この「THE WEEK WITH A PRO」は自分が渡米する前からずっと温めていた企画であり、B.A.S.S.の取材を開始して2年が経った2000年夏にようやく実現のチャンスが訪れた。どうして2年?と思われるかもしれないが、それは取材環境の機が熟すのにどうしても必要な時間だった。B.A.S.S.のプロを取材するために必要な自分自身の知識と経験の蓄積、カメラボートの手配といった現場での取材態勢など、いくつかの必要条件がちょうど揃ったのが取材開始から2年後の2000年夏だったのである。

 その当時は「コレでいよいよ面白いことができるゾ!」と浮かれたものだが、実際には、この「WEEK WITH A PRO」を行うために必要な取材環境はあまり長くは続かなかった。2000年の夏にESPNによるB.A.S.S.買収の噂が流れ、翌2001年4月にそれが現実になると、外部の人間による取材がさりげなく制限されるようになり、しだいに思うような取材ができなくなっていった。

 今回紹介するティム・ホートン編の「THE WEEK WITH A PRO」は、前回前々回の記事と同じ号(No.120)に掲載された記事であり、舞台はやはり2001年8月のB.A.S.S.ツアー第1戦(ミシガン州レイク・セントクレア)である。しだいにキツくなり始めたESPNによる取材制限を背中で感じながら、「まだヤレるか?」と様子を窺いつつ取材を敢行したw。まさかこの2週間後に世界を震撼させる大事件が第2戦の開催地からほんの目と鼻の先で起こるとは‥‥。



The Week With A Pro
Tim Horton
ティム・ホートン編
in 2001 Michigan BASSMASTER TOUR
ティム・ホートンの名は、彼がまだ学生時代の頃からすでに知られていた。
アラバマ州ピクウィックレイクのフィッシングガイドとして休日を過ごしていた当時のホートンのもとにはプロコンペティターたちからも情報を求める電話が掛かってきた。
そして、トップ150(現バスマスターツアー)に新人として参戦した2年前(1999-2000)、全7試合中3試合をシングル入賞で飾り(1回の優勝を含む)、最終戦を前に早々とアングラー・オブ・ザ・イヤーを獲得するというB.A.S.S.史上初めての快挙を成し遂げてしまったのである。
ホートンは間違いなく今もっとも注目を集めている若手の1人と言えるだろう。

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8/21, 0fficial Practice Day 3
「もう1尾か2尾、ビッグフィッシュを穫れてれば、かなりよかったんだけど……。
この試合のカギは3から4Lbクラスのビッグフィッシュを1日に最低3尾穫ることだろうね。
もし1日に3尾穫ったら、あとは2尾釣るだけでいい。
そうなれば入賞が見えてくる。
だけど、もし1尾もビッグフィッシュを穫れなければ、厄介なことになるだろうね」。

 ティム・ホートンはプリプラクティスなしで試合に臨んでいた。一般的に言って、ホートンのようなストラクチャーフィッシャーマン(地形をねらうタイプ)の場合、パターンを煮詰め、戦略を決定するために必要な時間は、カバーフィッシャーマンよりも多くなるのが普通である。しかし、ホートンは2年前の試合で同じ時期のセントクレアを一度釣っており(結果は計66Lb9ozで6位)、今年6月に開催されたFLW戦(84位)にもスポットで出場していた。情報という点に関しては、もうすでに充分すぎるくらいの情報を持っていた。オフリミットの前にわざわざやってきてプリプラクティスを行なわなければならないほどの必要性はなかったのである。

 「プラクティスの初日はセントクレアリバーを中心に釣った。プラクティスでの釣果をそのまま試合で期待することはできないけど、その日は5尾で17〜18Lbは釣ったと思う」。

 湖の北面に流れ込むセントクレアリバーは、2年前の試合でホートンがメインにした場所だった。上流にあたるヒューロン湖下流のレイク・セントクレアを結ぶ全長約72kmの河川で、深いチャネル(最深部で50ft)と強いカレントが特徴となっている。過去の試合で蓄えた豊富なストラクチャーの情報を有効に利用するという意味では、まったく理に適っていた。

 「興味深いのは、2年前のように他のボートをたくさん見かけなかったってことなんだ。前回はどこへ行ってもボートだらけだったんだけど、少なくとも初日のプラクティスの時は他のボートをほとんど見かけなかった。実はセントクレアリバーが今年はあまりよくないって噂もあったから、皆が敬遠したのかもしれない」。

 2日目のプラクティスはエリー湖からデトロイトリバーにかけてのチェックを行なった。ビッグウエイトの可能性が最も高い場所として、ホートンはエリー湖のことが気になっていたが、これまでほとんど行ったことがなかったため、そのポテンシャルを計る上でも、一度チェックしておくべきだろうと考えたのである。

 「でも、ちょうど風が吹いてしまってね。ひどく荒れていて、しっかり釣り込むことができなかった。エリー湖をチェックするべき日ではなかったね。失敗したよ」。

 しかし、だからといってそれ以上の深追いをするつもりはなかった。もともと、初日にあれほどの手応えがなければ、エリー湖へ行くこともなかったはずであり、結局のところ、本気でエリー湖をメインエリアにしようとは思っていなかったようだ。

 したがって、最後のプラクティスでやるべきことはひとつしかなかった。もう一度セントクレアリバーヘ行き、初日に釣ったスポットを再確認することと、初日に回りきれなかったスポットを釣ってみることである。試合で時間を無駄にしないように、細かな最終チェックをしておくのだ。

 プラン通りにセントクレアリバーに向かったプラクティス最終日、ホートンは数カ所のスポットを回り、4Lb半クラス2尾を含む計8尾のキーパーをキャッチした。推定ウエイトは15Lb。気になっていた他のボートも、初日同様、ほとんど見かけることがなかった。決して悪くはない結果だった。

 「他のアングラーの話を聞いている限りでは、今回の試合は2年前よりも全体的にウエイトが落ちると思うんだ。前回は毎日18Lbを持ってこなければトップ10に残れなかったけど、今回はもしかすると毎日15Lbでもトップ10に残れるかもしれない。目標は1日16〜18Lbだけどね」。



DAY 1: 14Lb10oz(5/0) 19位
DAY 2: 9Lb10oz(5/0) 計24Lb4oz 43位

8/23, Day 2
エンジントラブルで朝の貴重な2時間半を失ったホートンはもはやまともな精神状態ではなかった。
「小さいの5尾だけだ」と、帰着したホートンは呟いた。
「4パウンダーをバラした。でも、とにかくスタートで蹟いてしまった。元に戻すのは難しいよ。かなりね……。
だけど、なんとかリミットは揃えたから、まだ挽回できるかもしれない」。

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photo by OGA

 それは試合2日目の朝だった。私はプレスボートに乗り込み、ホートンがいるセントクレアリバーの中流域を目指していた。すべてのコンテンダーがスタートを完了してから30分が経過しようとしていたため、ホートンはすでにエリアに到着し、釣りを開始しているはずだった。私はついでに他のコンテンダーたちの様子を確認しようと思い、遠回りとなるセントクレア・カットオフをあえて通ってセントクレアリバーを遡った。

 ちょうどミドルチャネルとの分岐点にあたるラッセル島を左手に見ていた時だった。白と青のプロクラフトがショアラインの近くに浮いているのが目に入った。それは間違いなくホートンだったが、私はなぜ彼がそこにいるのか一瞬分からなかった。が、次の瞬間、トリムを上げ、後部デッキに膝をついているホートンの姿を見て、異変に気付いた。マシントラブルだった。

 「エンジンが急に止まってしまった。イグニッションも回らない。ミドルチャネルのボートランプまで曳航してくれないか」。

 ホートンは努めて冷静さを保とうとしていたが、焦っていることは誰の目にも明らかだった。後部デッキには工具箱と予備のヒューズが散乱していた。それを見て、私もピンときた。

 実は初日にも、ホートンのエンジンは止まっていたのである。その時は幸いにも近くを釣っていた他のコンテンダーの助けを借りて、約30分ほどでスペアボートに乗り換えることができた。メカニッククルーはトラブルの原因を特定できず、新しいヒューズを取り付けるだけの応急措置しか行なわなかった。そのことと2日目の朝のトラブルが無関係でないことは明白だった。ホートンはやり場のない怒りをどうにか押さえ込み、トーナメントディレクターにスペアボートの手配を要請した。

 しかし、ボートランプヘの曳航に約1時間を要した上に、スペアボートが到着するまでさらに1時間を待たねばならなかった。ライブウェルがまったく空の状態で、ホートンは朝の貴重な2時間半を失ってしまったのである。

 ホートンの初日の成績は19位(14Lb10oz)。2日目の結果しだいでトップ10入りを充分にねらえる位置にいただけに、精神面での動揺が懸念された。



正統派ストラクチャーフィッシャーマン

 ホートンがセントクレアリバーで行なっていたのは、いわゆるドリフティングと呼ばれる釣り方である。ねらいたいスポットの上流から川の流れに乗せてボートをドリフトさせ、ドラッギング状態でスポットを探っていくというメソッドである。

 セントクレアリバーの場合、カレントの速さは見ため以上に速く、時速にして1.5〜1.8kmほどある。つまり、300mのストレッチを約10分で流しきってしまう計算だ。

 ホートンは同じスポットを何度となく繰り返しドリフトして丁寧に探った。一度流し終えると、エンジンで再びスポットの上流へ移動して、同じライン(コース)をドラッギングするのである。

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ひと流し終えて再び上流へ移動。

 驚いたのは、ホートンが岸よりのファーストブレイクではなく、水深が25ft以上もあるような、チャネルの最深部に一番近いディープ寄りのストラクチャーを意識的にねらっていたことだった。セントクレアリバーや、その下流部のセントクレア・カットオフ、サウスチャネル、ミドルチャネルなどを釣るコンテンダーは決して少なくなかったが、その大部分はバンクのシャロー(水深3〜4ft)とそれに続く10ftまでのドロップオフを釣っていた。ホートンのように約1kmほどもある川幅の真ん中で、チャネルマーカーのすぐ横をドリフティングしているボートは皆無といってよかった。

 私は過去にホートンと同船したこともあったし、別のボートから彼の釣りを観察したこともあったが、考えてみると、それらはいつもシャローを釣っている時だった(春のサイトフィッシングなど)。今回、セントクレアリバーでの彼の釣りを間近に見て、ティム・ホートンというコンペティターが評判通りのストラクチャーフィッシャーマンであることを再認識させられた。

  「魚がシャロー志向になる春とか、増水時とか、どうしてもシャローを打つ必要がある時は別だけど、それ以外は基本的にストラクチャーの釣りを戦略の中心に置くことが多い。おそらく、これはフィッシングガイドをしていたからだと思う。フリッピングとかスピナーベイトといったシャロー力バーをねらうタイプの釣りはガイドトリップには向かないんだ。技術力というのは客によって違うからね。全員が正確なキャストをできるとは限らない。その点、ディープストラクチャーの釣りは、ガイドが正確にボートをポジショニングすれば、たとえ初心者でも魚を釣ることができる。いつの間にか、ストラクチャーフィッシングのスタイルが身に付いてしまったんだろう」。

 しかし、そうした目に見えない何かをねらうホートンのフィッシングスタイルは、明らかに彼の持ち味となっている。素晴らしいのは、シャローフィッシャーマンとしての実力もしっかり兼ね備えているという点である。

 しかも、同じストラクチャーフィッシャーマンの代表であるデビッド・フリッツのように、ひとつの釣り方(たとえばディープクランキンとか)に専門化しているわけではないので、季節やフィールド、あるいはコンディションによるムラがない。極めてバーサタイルなのである。その意味で、ホートンはマーク・デイビスとよく似ている。デイビスがやはりそうであるように、ホートンもまた、いつアングラー・オブ・ザ・イヤーを獲っても不思議ではない希有な才能と言えるだろう。



2日めの悪夢について
 2日目のメカニカルトラブルの後、ホートンはやはりいつもの落ち着きを失ってしまったようだった。もっとも、あのようなアクシデントの直後に冷静さを保てというほうが土台無理な話なのだが……。

 「あの後は精神的に完全に崩れてしまった。リラックスしようとしてもできなかったし……。失った2時間半の遅れを挽回しようと思うと焦りが出てきて、早く5尾釣らなければという思考パターンに陥ってしまったんだ。焦れば焦るほど、魚は釣れなくなってしまう。初日とまったく同じスポットを釣っているのにもかかわらず、コンディションが悪くなっているわけではないのにもかかわらず、どんどんバイトが遠ざかっていく。最悪の展開だよ」。

 結局、ホートンが2日目のウェイインに持ち込むことができたのは9Lb10oz(約4,366 g)だけだった。順位は一気に43位まで落ちてしまった。

 9Lb10ozというウエイトに関して言えば、本来なら15Lb以上のウェイトをねらえただけに残念と言う他ないが、ポジティブに考えるなら、あの事件の後でよくリミットを揃えることができたとも言える。3日目の巻き返しにつなげるという意味では、最低限必要なウエイトは確保したといったところ。最悪のシナリオはなんとか避けることができた。



猛チャージを見せた3日目
8/24, Day 3
この日、ホートンは猛チャージを見せた。
16Lb2ozをキャッチしてトータルウエイトを40Lb6ozとしたのだ。
その結果、最終成績は22位。
あと2Lb9ozあれば、決勝進出を果たすことができるウエイトだった。

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川の中央に近いディープを釣るホートンの真横を外洋クラスの大型タンカーが通過する。
photo by OGA

 悪夢から一夜明けた3日目、ホートンは猛チャージを見せた。実に朝の約3時間で早くも推定15Lbのリミットをライブウェルに入れていたのである。同船していたアマチュアに至っては、ホートンを超える推定17Lbをキャッチしてさえいた。もちろん、エリアやパターンを変えたわけではなかった。初日、2日目と同様に、セントクレアリバーの中流域のディープストラクチャーを、ドリフティングによるチューブジグのドラッギングパターンで攻めていたのだ。

 しかし、コンディションはたしかに変わっていた。だが、ホートンがねらっていた魚に関しては、それらの変化が大きな影響を及ぼしているとは考えにくかったことも事実である。

 ホートンが釣っていたのは、時速約1.5kmの強力なカレントで水が流れている大きな河川であり、しかも、その中の水深25ft以上という極めてディーブなボトムストラクチャーがターゲットである。風向きによるカレントの強弱はメインレイクやマウス部分ほど大きなファクターとはなりえないし、天候の影響もシャローよりは少ない。そして、ホートンがねらっていた魚は、まだフォールパターンに移行しきっていないディーブのビッグフィッシュである。したがって試合初日から3日目まで、条件的な変化はほとんどなかったはずなのである。

 それでは、3日目の快進撃の理由はいったい何だったのだろうか。

 意外な感じもするが、最大の理由はモーニングバイトをきっちりと穫ることができたという点にあった。

 「ここだけに限ったことじゃないけど、特にクリアウォーターでは、空が一気に明るくなる時間帯というのは、たしかに食いが立つ。バスの餌となる小魚や小さな生物たちが、まだ活発に活動している時間だからね。特に大きな魚というのは、その時間帯をねらって集中的に捕食活動を行なっているように思える」。

 そう考えると、2日目のメカニカルトラブルは二重の意味でその日の釣果に影響を与えたのだと言えるだろう。ひとつはホートンの精神面に与える影響、そして、もうひとつは朝の貴重な時間帯を失ってしまったというより直接的な影響である。モーニングバイトの重要さをホートン自身がよく知っているだけに、余計、精神面で崩れてしまったという側面もあったに違いない。いわゆる悪循環というやつだ。

 いすれにせよ、3日目のホートンは16Lb2oz(約7,314g)をウエイインする猛チャージによって、22位までジャンプアップすることに成功した。トータルウエイトは40Lb6oz(約18,314g)。10位のビル・ウィルコックスが42Lb15ozだったことを考えると、ホートンはわずか2Lb9ozの差でシングル入賞(決勝進出)を逃したことになる。

 仮に、この2Lb9ozという差を2日目のウエイト(9Lb10oz)に足してみると、12Lb3ozという数字になる。初日と3日目のウエイトがよかっただけに、あのトラブルがなければ………と思わざるをえない。

 「22位という成績は嬉しいよ」と、ホートンは苦笑いした。「トーナメントが始まる前はトップ10入りできるほどのパターンを自分が持っているとは思っていなかったけど、試合が進むにつれて、そのチャンスはあったんだなと実感したよ。もしも2日目のエンジントラブルがなければなんて言い訳するつもりはないけど、あの失われた2時間半があれば、少なくとも2Lbは追加できたんじゃないかと思う‥‥」。

 ホートンは「少なくとも2Lb」と控えめに語ったが、それが4Lbあるいは6Lbであった可能性は否定できない。初日の故障時に修理を完全に行なわなかったメカニックに対して腹立たしい気持ちを覚える。

 しかし、何はともあれ、22位という成績は決して悲観するべきものではない。来年のパスマスターズ・クラシック出場やアングラー・オブ・ザ・イヤー獲得に向けて、ホートンがいいスタートを切ったことは確かである。

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メインタックルは2セット。チューブジグ用のスピニング(シェークスピア7ftMH)とキャロライナリグ用のベイト(シェークスピア7ftMH)。ミディアムヘビークラスのスピニングロッドは日本ではまず見かけない代物。チューブジグとキャロライナリグの両方に、リバーサイドの4inチューブを使用。ジグヘッドの重さは1/4oz。
photo by OGA

DAY 3: 16Lb2oz 計40Lb6oz
最終順位22位
獲得賞金:3,500ドル



【あとがき】
 今あらためて記事を読み返すと、プロトーナメント運営組織としてのB.A.S.S.の質も、おそらくこの頃がピークだったんだなぁということが分かる。記事中にティム・ホートンがエンジントラブルで動けなくなり、スペアボートが届くまで2時間半も待たなければならなかったとあるが、現在のエリートシリーズの感覚で言うなら、「スペアボートがあるだけまだマシ」ということになる。これは冗談でもなんでもなくて、ここ数年のエリートシリーズでは、選手たちがトラブル時に乗り換えられる公式スペアボートは1艇も用意されていないのだ。

 実際、先日のエリート第5戦(2001年5月ジョージア州エストポイントレイク)でも、こんなことがあった。試合の2日目、私がカメラボートに乗り込んでメインレイクを移動していると、デビッド・ウォーカーが湖のド真ん中でエレキを踏んでいるのを見かけた。ハンプなどあるはずがないメインレイクチャネルで何をしているのだろうと不思議に思ったのだが、自分は他の選手を探していたこともあり、そのまま通り過ぎた。試合後に判明したのは、朝イチでエンジントラブルに見舞われたウォーカーが、スペアボートもない、メカニックも来てくれないという八方塞がりの中で、仕方なくエレキで動ける範囲で釣りを続けていたという事実だった。自分が湖上で見た光景は、メインレイクを何とかエレキだけで対岸に渡ろうと試みていたウォーカーの姿だったのである。

 修理という選択肢はなかったのか?と疑問に思うかもしれないが、エンジンを修理するには近くのボートランプからボートを上げて、ウエイイン会場のサービスヤードに戻る必要があると言われたらしく、となると、すでに釣っていたライブウェルの中の魚を逃がさなければならない。そもそも、ウォーカーはレンジャー&エビンルードというB.A.S.S.との縁が切れているボートに乗っているため、サービスヤードには肝心のメカニックもいない状況。他メーカーのメカニックにしてみると、わざわざ湖上まで駆けつけて全力で修理しなければならない義務はたしかになかった。

 しかし、これがはたしてアメリカで最高峰とされるプロシリーズのあるべき姿なのかと問えば、答えはもちろんノーだろう。B.A.S.S.の求心力の低下はいよいよ深刻な状況になっているように見える。ESPNの手を離れ、新体制となった新生B.A.S.S.がかつての輝きを再び取り戻せるのかどうか。まずはもうすぐ発表されるであろう来期のニュースに注目したい。

 さて、本稿を含め最近アップした計3本の記事が、2001年8月のツアー第1戦(セントクレア戦)のレポートすべてということになるが、実を言うと、もう1本まだどこにも発表していない「レポート」が存在する。それはこの取材時にメモ代わりとして自分が撮影していたビデオで、当時立ち上げを考えていたウェブサイトでの動画配信用にテストとして制作したもの。編集も終えていたのだが、ウェブサイトを立ち上げるという企画自体が以前書いたようにポシャってしまったため、このビデオもお蔵入りになっていた。次回の更新では、このビデオを紹介したいと思う。